石見神楽&島根県情報をのんびり書いて行きますので、よろぴくね♪
 石見神楽の変革期
2007年08月04日 (土) | 編集 |
以前、おって紹介すると書きましたK氏の書かれた神楽講義文を本日はご紹介。
多少、私なりに省略してはありますが、マメ知識としてお読みくださいませ♪


≡≡≡≡≡石見神楽の変革期≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡


室町時代末期
出雲大社に仕える神職らが京の都に上洛した際、『能楽』を習得。
出雲地方にを中心に『佐陀神能(さだしんのう)』が誕生。
その後、農神に捧げる芸能『大元神楽』と融合し、石見神楽が形成。


明治3年
『神職演舞禁止令』により、神職から民間の手に委ねられる。


明治15年
藤井宗雄氏(国学者)のもと、囃子・舞いの構成・面や衣装などの小道具の工夫がなされ、
石見人の気質に馴染んだ芸能へと変革。


明治12〜29年
地元神楽社中の衣装店主、大元神楽伝承地域の神職などが集まり、神楽台本の改訂。
台本の改訂により、各社中の指導・伝承が活発化。


昭和45年
1970年の『大阪万国博覧会』に、浜田の上府社中・有福神楽保持者会・長澤社中が出演。
これを機に全国的に石見神楽が周知される。
万博以降、大蛇が火を噴いたり、目が光ったりの演出効果が高まる。

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ここに書かれている『神楽台本』とは、先日、ゆ〜ちゃんからお借りしたものでしょうか?
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神楽をやっているわけではないので、流し読みで終わってしまいましたが…。
字を読んでいると眠たくなってくるのであります(^^;)
前は、結構、本を読んでいたんですが、パソコンを買ってからは、トンと遠のいて…。
子供の頃は、読書キライな子だったので、歳をとって、やっと本の楽しさがわかったと思ったら、
やっぱ、ダメですね…うちの子もマンガばかりです(−−;)


あるサイトでは、こんな風にも書かれていました…
『出雲神楽も同類のもので石見神楽の原型と思われがちですが、
 近年の研究では出雲起源説には根拠がなく、
 むしろいにしえから現代まで古い形を守ってきた大元神楽の流れを基に、
 数百年の歴史の間に出雲神楽や九州の岩戸神楽を始めとしたさまざまな地方の流れと
 融合しながら伝えられたものと考えられます。』



『神職演舞禁止令』を探すと、『神祇院(じんぎいん)』が出した禁止令だそうですが、
これによって、神楽は神職から氏子に舞いを移し、大衆芸能化の一歩を踏み出しました。

『神祇院(じんぎいん)』とは?
 現在は存在しないが、内務省の外局で日本の国家機関の一つだった。
 昭和初期の神祇官興復運動を受けて、
 1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念に際して設置。
 特に目立った成果を挙げないまま、
 戦後の神道指令を受けて、1946年(昭和21年)2月2日に廃止。
 神社の管轄は翌日設立された宗教法人神社本庁に引き継がれた。


そんなに大昔の話ではないようですね。
まぁ詳しい話は、石見神楽の研究家(?)のニン麻呂先生が登場されると思いますが。

今日は、クソ真面目な記事ですが、基本的に私は、超真面目な人間ですから…。
フフフ ( ̄+ー ̄)キラーン…知ってた?
まぁ、こんな知識も頭に入れながら、自分なりの石見神楽を楽しみましょう♪