石見神楽&島根県情報をのんびり書いて行きますので、よろぴくね♪
 坂上田村麻呂の墓&鈴鹿山
2007年06月09日 (土) | 編集 |
山科の西野山古墓、坂上田村麻呂の墓か

平安時代初期の征夷大将軍で
清水寺(京都市東山区)を創建した坂上田村麻呂(758〜811)の墓が、
山科区西野山岩ヶ谷町の『西野山古墓』である可能性が高いことが分った。

平安後期の『清水寺縁起』に田村麻呂の墓の位置や範囲を示す記述があり、
平安時代の山科周辺の条里図で調べたところ、西野山古墓と一致したという。
同古墓から1919年に出土した金装大刀や鏡(いずれも国宝)などの年代などが、
ほぼ同じ頃で、上級貴族が所有するような高級品であることから、田村麻呂の墓だと判断。




上記は、先日、テレビや新聞で報道されていた内容のものです。
石見神楽の「鈴鹿山」という演目を知らなければ、見逃していた記事です。
なんせ歴史とか苦手な分野ですから、将軍の名前など皆無です(^^;)
最近、「坂上田村麻呂」という名前を知ったようなものです。


はっし〜が扮する「鈴鹿山」の坂上田村麻呂 (写真提供・はっし〜…ありがとちゃん♪)


 「鈴鹿山」あらすじ

将軍・坂上田村麻呂は、伊勢の国・鈴鹿山に住む大鬼人を退治せよとの勅命を受ける。
東の東険山、西の地蔵岳、南の南京山、北の北京山に悪鬼が住み、
都よりたびたび退治に来られるがすべて不成功に終わっているとのこと。
鈴鹿山に向かう途中、道に迷った田村麻呂は、麓に住む里人と出会う。
この里人に道を尋ね、鈴鹿山の様子や大鬼人の事を聞き、岩屋に案内させる。

鈴鹿山に向かうと鬼と出会った。 
鬼は手向かいすれば命はない、天には金の網をはり、
地には地神の火を燃やして必ず一命を取るといって襲いかかってきた。
しかし、坂上田村麻呂は宝刀を持って苦戦しながらも戦い、
最後は信仰心の厚さにより見事に大鬼人を退治し、都に帰った。


※この神楽は鬼は人の目には見えないという設定で一本の帯を引き合って戦います。



はっし〜の社中の鈴鹿山は、ザコ鬼(4匹)を太刀で斬らないで、御幣と鈴で退治しています。
本人は、ザックリと太刀で斬りたいようなことを前に言っていましたが…。
ザコ鬼はボス鬼が作り出した幽霊のような分身らしいですが、
御幣と鈴だけ退治しているのを見たお客さんが、
『幣と鈴だけで鬼がやられたで〜弱い鬼やな〜』と言っていたらしい。
内容とか知らないと、御幣と鈴でやっつけてる意味がわからないでしょうね。
私も、何で刀で切らない?と思ったはず…舞いの内容やあらすじは、大事だね。


今年4月1日にあった「スーパー神楽」のDVDを見せていただく機会があったのですが、
「岩戸」の宇津女の舞いしか、はっし〜の舞いは見たことなかったですが、
田村麻呂を舞うはっし〜、良かった!!惚れ直したわ(#^^#)ぽっ
顔はかわいいんだけど、声が通って、男らしい感じで素敵だったわん(告白)
(でも、益田のグルグル面は苦手な私…